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聖火でなく矛! 戦勝祈願の1万人リレー「1938年の聖矛継走」(1)

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伊勢・東京を「聖矛集団」が走破

毀誉褒貶ありつつも、どうにか無事に開幕を迎えようとしている平昌オリンピック。

オリンピックといえば聖火リレーがつきものだが、今大会でも昨年11月1日から開会式までの101日間をかけた聖火リレーが行われている。

近代オリンピック大会で初めて聖火リレーが行われたのは、1936年、ナチス政権下で開かれたベルリンオリンピックでのことで、五輪と聖火が切っても切れないものとして定着していくのはこの大会以降のことだ。

平昌五輪でも、ギリシアから仁川にもたらされた聖火は、済州島や珍島などもルートに加えながら、韓国国内全2018キロの行程を走破しようとしている。

ところで平昌五輪のちょうど80年前、昭和13年(1938)の日本において、とある特異なリレーが行われていたことをご存じだろうか?

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当時の「日本陸上(臨時増刊)」(国会図書館デジタルアーカイブより)。

そのリレーとは、伊勢神宮でお祓いをうけた7本の聖なる矛を携え、東海道筋の神社に奉納しながら東京・明治神宮を目指して500キロ超の長距離をひた走る……というもの。

スポーツ競技とも、儀式とも、神事ともつかない大会、その名も「伊勢神宮明治神宮戦捷記念聖矛継走大会」である。

当時、この大会は「聖矛継走」と呼ばれて新聞でも盛んに報じられていた。この大会だけの特集号を組んだ雑誌もあったほどで、国民の注目度、認知度は現在からは想像もつかないほど高かったのだ。

なにしろ、この継走(リレー)には走者、伴奏者だけで1万5千人もの国民が参加しているのである。当時の記事からは、継走の一団が沿道の市町村から熱烈な歓迎を受けていた様子も見て取れる。

大会を主催したのは、日本陸上競技連盟と大日本体育協会という2つの団体で、その意味では聖矛継走はれっきとした「体育大会」だった。

一方で、その正式名称からもわかるように、大会はこの前年、昭和12年(1937)に勃発した「支那事変」の戦勝を祈願するという名目で行われたものでもあった。南京陥落が12年12月、その後内陸へと拠点を移す中華民国政府を追うように、日本は大陸に大量の兵力を投入し続けていた。やがて「泥沼」と呼ばれる長期戦化の兆しはありつつも、この頃はまだ多くの国民が「支那事変」の勝利を信じていた時代でもあった。

しかし、伊勢神宮から明治神宮の間を、聖なる矛を先頭に計1万人以上の国民が疾走するという行為が、果たして本当に「スポーツ振興」と「戦勝祈願」の意味しかないものだったのだろうか。目的に対して、その規模や内容がどうにも不釣り合いに見えてしまうのだ。当時の新聞や雑誌記事などから聖矛継走の様子を再現しつつ、その謎に迫ってみたい。

 

昭和13年(1938)、明治節(明治天皇誕生日として祝祭日になっていた11月3日)の翌日4日朝、伊勢神宮内宮の神楽殿に、はるばる東京から運び込まれた7本の矛が到着した。

矛は柄の長さ約180センチ、矛先6寸(約18センチ)の全長約2メートル、穂の付け根には金襴のヒレが下げられた立派なもので、東京神田の神祭具装束師・増田英治の手による、古式に則った「ホンモノ」の祭具である。

午前11時になると、陸連会長や宇治山田市長など名士列席のもと、神宮神職による修祓(お祓い)が行われ、7本の矛は晴れて「聖矛」となる。このうち1本が伊勢神宮に献納され、残りの6本は高々と天に掲げられ、継走の出発地となる宇治橋に移動していく。

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当時の「日本陸上(臨時増刊)」(国会図書館デジタルアーカイブより)。

宇治橋前で、ゴールの明治神宮に奉納される聖矛が正選士に、2番目の神社に奉納される1本が副選士に手渡される。そして12時、宇治山田市長の打ち鳴らす太鼓の音を合図に、両選士はじめ伴走の衛団は、1000人超という大観衆の見守るなか、栄えある大会のスタートを切ったのである。この様子は、NHKのラジオによって全国に生中継されていた。

こうして始まった聖矛継走は、11月4日〜6日の3日間をかけて、520キロの道のりを昼夜ぶっ通し、文字通り不眠不休で走り通した。

聖矛が奉納される7つの神社とは、スタート地点の伊勢神宮、結城神社(津市)、熱田神宮(名古屋市)、三嶋大社(三島市)、鶴岡八幡宮(鎌倉市)、そして東京の靖国神社、ゴールの明治神宮だ。

結城神社は、南朝の忠臣・結城宗広を祭神として創建された神社で、建武中興十五社と呼ばれる神社の一社でもある。

熱田神宮は言わずと知れた草薙御剣を神体とする日本屈指の大社。三嶋大社、鶴岡八幡宮はいずれも源氏からもあつく信仰された武功の神として名高い。

聖矛を奉納する7社は、戦勝祈願にふさわしい武神と、皇室ゆかりの神社とをバランスよく選んだ絶妙なラインナップになっている、といえるだろう。

出発式前後の様子をみるだけでも、この大会が「普通のリレー」でないことは容易に感じとれるが、それは走者を「選手」でなくあえて「選士」と呼ばせているようなところからも伝わって来る。『大辞林』によれば、「選士」には選ばれた人というほかに、平安時代に大宰府のもとで国防の任にあたった兵士、という意味もあるそうだ。

この正副選士が捧げ持つ2本以外の矛はバスに載せて追走させていたのだが、そのバスもまた並みのものではない。

バスの内部には事前に矛を納める祭壇が設置され、車外にはしめ縄を巡らせて榊を立てるという特別仕様が施されていた。バスというよりも、即席の移動式神社が仕立てられたといった様相だ。

矛は明らかに、駅伝のタスキや聖火のトーチとは次元の異なる、まさに「聖矛」以外のなにものでもない扱いを受けていたのである。

 

続く……(2)は2月3日公開。


幻の東京五輪を悼む神事だった!?「1938年の聖矛継走」(2)

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聖矛は神を招く神器だった?

前回紹介した(聖火でなく矛! 戦勝祈願の1万人リレー「1938年の聖矛継走」(1)はこちら。)出発式のようすからもわかるように、「聖矛継走」はスポーツ大会の看板を掲げながら、濃厚に神事の空気感を漂わせていた。

そして国民の側でも、これがただのスポーツ大会だとは受け止めていなかったのだ。

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聖矛継走を報じる「読売新聞」(国会図書館デジタルアーカイブより)。

聖矛の走るところ、沿道では日の丸が振られ、万歳三唱が沸き起こったが、これはまだライトな反応のほうだった。

静岡県内のある区間では、継走の一団が富士登拝よろしく口々に「六根清浄」を唱えながら走ったというし、一家総出で玉串を捧げて聖矛を迎える家族があったり、選士(リレー選手)や先導のオートバイに賽銭が投げ込まれることまであったりしたという(こうした道中のエピソードは、伴走した記者・小澤豊氏が記した「聖矛継走伴走記」(『陸上日本』臨時増刊に掲載)に詳しい)。

 

沿道となった土地の人々にとって、聖矛継走は「神様が通過する」に等しいできごとだったのだ。

継走のルートが、聖矛奉納の7社以外にも多くの寺社を経由していることからも、それは裏付けられる。

たとえば横浜では「関東のお伊勢さま」「横浜総鎮守」として崇敬される伊勢山皇大神宮が継走行程に加えられている。

都内(当時は東京市内)のルートをみてみると、神奈川県境の六郷橋を渡ったのち、六郷神社、貴船神社、大森神社、品川神社、泉岳寺、増上寺、愛宕神社、そして皇居(当時の呼び方では宮城)二重橋前と靖国神社をはさんで、日枝神社、神宮外苑競技場を経由して明治神宮と、これもまた実に多くの寺社が中継ポイントに設定されているのである。

もしもこの大会が現代に行われていたら、さしずめ「神様駅伝」とでも呼ばれていたのではないか……などと想像してしまう。

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そもそも、聖矛はなぜ明治神宮をゴールに目指したのか。実は、聖矛継走が行われた11月3〜6日というまさにこの期間、神宮外苑では「国民精神作興体育大会」という競技大会が行われていたのだ。

1938年は、日本のスポーツ界にとっては失意のどん底ともいえる年だった。嘉納治五郎らの尽力により、東洋初の五輪としての開催が決定していた1940年オリンピック東京大会の返上が正式決定されたのが、この年7月のことだったのである。

前年の盧溝橋事件に端を発する「支那事変」勃発以降、軍部はオリンピックへの協力姿勢を撤回し、国際情勢も戦争当事国である日本での五輪開催に異を唱えるようになっていた。

そのうえ、より現実的な問題として、オリンピック競技場の建設が「戦争遂行には不要の工事」として閣議決定よりに中断させられてしまい、五輪開催は断念せざるを得ない状況に追い込まれていたのである。

さらに言えば、五輪招致最大の功労者といってもよい嘉納治五郎が逝去したのもこの年だった。その最期は、まさに東京五輪の先行きについて話し合われたIOC総会の帰路、帰国直前の船のなかで亡くなるという壮絶なものだった。

この幻となった東京オリンピックでは、ベルリンでの聖火リレーの大成功に触発され、いくつもの壮大な聖火リレー案が提唱されていた。たとえばローマから海を越えて聖火を持ってくるという世界規模の案や、天皇家発祥の地とされる宮崎神宮から東京までを聖火でつなぐという案などがあったのだが、これらも五輪の返上とともに幻と消えた。

まるでその無念の仇討ちをするかのように決行されたのが、この年の国民精神作興体育大会、そして聖矛継走だったのである。

 

聖矛継走は、体育大会の閉会式にあわせてきっちり神宮競技場に入場するようペースを計算されていた。平均時速10〜11キロという予定速度を全行程においてほとんど乱すことなく管理され、見事どんぴしゃりで大会のフィナーレを演出することに成功している。

閉会式には、大会総裁として出席する昭和天皇の弟宮・秩父宮の姿もあった。その構図は1964年、20年越しで現実のものとなった東京オリンピックでの開会式の様子を彷彿とさせる。

聖矛継走は、この体育大会にとっての「聖火リレー」でもあったのだ。

それにしてもだ。体育振興、戦勝祈願が実際にこの継走の目的だったのだとしても、まだぬぐいきれない疑問が残る。

「神都」伊勢と「帝都」東京を結び、名だたる神社を中継しながら聖なる矛を運ぶという行為は、なにか表向き以上の意味を発生させてしまっているのではないか――ということだ。

 

そもそも、なぜ聖火ではなく聖矛だったのか。ひとつには、途中で消えるとまずいといったような現実的な声が、大会の後援者だった厚生省から上がったということがあるようだ。

しかし、この継走を「神事」と仮定して眺めてみると、「矛」には違った意味が見えてくる。

記紀神話の、天照大神の孫ニニギが高天原から天下る「天孫降臨」の場面を思い浮かべてもらいたい。ここでは、天津神一行を迎え入れる国津神・猿田彦は常に矛を携えた姿で描かれる。

あるいは猿田彦の妻となる女神アメノウズメは、天岩戸に引きこもってしまった天照大神を招き出すため、手に矛をもって舞い踊ったと『日本書紀』には記されている。

現代においても、ユネスコの無形文化財に登録されている津島神社(愛知県)の尾張津島天王祭では、神の先導として「鉾持ち衆」と呼ばれる若者たちが活躍する。

天王祭の朝、10人の鉾持ち衆は、それぞれに長大な布鉾を持ち、御旅所に遷座する神の先祓いとしてその鉾を手にしたまま天王川に飛び込むのだ。

その後、岸に着いた彼らが神社までの道のりを駆け抜けることで、神の進む道中が祓い清められる、とされている。そして、このとき鉾から滴り落ちるしずくには、病気や怪我を治す力があるという言い伝えも残されているのだという(「広報あいさい」2017年7月号を参照)。

このように、古来より矛を捧げて進むことには、神の先導、祓い清めという意味が見出されていた。伊勢神宮を出発する継走のアイテムとして、矛は他のなによりも相応しいものだったのではないだろうか。

 

続く……(3)は2月4日公開。

昇り竜のような雲が出現!!/読者投稿

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円形の雲からワープしてきた!?

投稿者:蓮沼 さん/ムーっぽい写真・風景

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秋に昇り竜を見つけたので写真を撮り、確認したところ、龍とその下にある円形の雲?を発見しました。

周りの占い師さんやヒーラーさんの方に見せると、「エネルギーの波動が高い!」ってよくいわれます。

輪のような雲がいい演出になっていますね~。波をのりこえようとする龍が神々しい!

矛で結ばれた結界は空襲で破られた……!?「1938年の聖矛継走」(3)

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神聖リレーの秘された目的地とは

聖火でなく矛! 戦勝祈願の1万人リレー「1938年の聖矛継走」(1)はこちら。

幻の東京五輪を悼む神事だった!?「1938年の聖矛継走」(2)はこちら。

 

矛を掲げて走ることは、「神事」として特別な意味を帯びてくる。前回はその仮定のもとに聖矛継走の意味を推測してみたが、そのルートについてもまた「神事」と仮定して再確認してみたい。

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聖矛継走を報じる「東京日日新聞」(国会図書館デジタルアーカイブより)。

伊勢を出発した聖矛は熱田神宮を中継し、ひたすら東海道を下る。そして江戸時代には江戸四宿のひとつとして栄えた玄関口・品川から東京に入っている。

東海道から最終目的地の明治神宮を目指すには、距離だけを考えれば、品川駅のやや手前から左に折れ、山手線と並走するように五反田、渋谷方面を通って原宿に至るのが最短のルートになるだろう。あるいは神宮外苑を目指すのならば、六本木を抜けて青山に向かう方法もある。

しかし実際の継走コースは、日比谷から二重橋前に向かい、神田を経由して靖国神社へと向かっている。そして半蔵門から赤坂の日枝神社を通過して外苑方面に折れていくのである。ずいぶんな遠回り、寄り道をしながら進んでいるといった印象だ。

そしてそのコースを眺めると、まるでぐるりと皇居を囲い込むような線を描いているのである。

聖矛継走は、明治神宮を最終目的地と宣言しながら、実は皇居(宮城)を隠れた目的地としていたのではないだろうか。

つまり、聖矛継走は、八咫の鏡を奉斎する伊勢神宮、草薙御剣をもつ熱田神宮、そして天皇と八尺瓊の勾玉の鎮まる宮城の三点、三種の神器が鎮座する三つの聖地をすべて結びつけ、明治天皇の御霊が眠る明治神宮へと収束していくのである。

聖矛継走とは、伊勢、熱田、皇居の三聖地を結びつける、巨大な結界を張るための神事だったのではないか――。

キリスト教が「7」を聖数とするように、古来神道では「8」という数字が重んじられてきた。また、矛は本来神前に二本一対で並べ立てるものであり、奇数では座りが悪いところがあるのだ。

聖矛継走が、隠された目的地「宮城」を含め、8箇所の神域を結ぶ神事だったのだとしたら。諸々がうまく説明できるようにも思うのだ。

 

「支那事変」勃発の昭和12年以降、日本軍はなし崩しに戦線を拡大させ、収拾のつかない戦争に足を踏み込んでいく。そして昭和16年12月8日の真珠湾攻撃をもって、米英に対する全面戦争にまで突入していく。

昭和13年当時、中国大陸での戦争に国力を集中させていた日本で、対米戦を想定していた人間などほぼ皆無だっただろう。

しかし、聖矛が描いた軌跡を眺めていると、それはまるで、太平洋側からもたらされる「なにか」を防ぐための、総延長500キロにもわたる巨大な結界――のようにも見えてならないのである。

聖矛継走が空前の巨大結界だったとして、それは効力を発揮したのだろうか。結果は、歴史が示す通りである。

聖矛が奉納された神社の、その後の歴史を見てみよう。2番目の奉納神社となった結城神社は、昭和20年7月の津市大空襲において灰燼に帰してしまう。

これに先立つ1ヶ月前、6月9日に名古屋市熱田区域を襲った大空襲によって、第3の奉納社、熱田神宮も焼失している。

継走の最終目的地だった明治神宮、そして宮城も、無事ではすまなかった。昭和20年5月25日夜、帝都東京は3月10日に次ぐ二度目の大規模空襲に襲われる。

このなかで明治神宮は社殿を完全に焼失。そして同日未明、天皇の住まいであり、憲法発布式など大日本帝国の歴史を見守ってきた文字通りの国家の中枢・明治宮殿も跡形もなく焼き尽くされてしまったのである。

伊勢神宮、三島大社、鶴岡八幡宮、そして奇跡的に焼失を免れた靖国神社と4つの神社が残されたが、聖矛により結ばれた結界は、無残に寸断されてしまったといえるだろう(伊勢神宮も空襲を受けているのだが、ここも奇跡的に燃えなかったのだ)。

日本の敗北が決定し占領軍の上陸が始まるのは、明治神宮および宮殿が焼滅した3ヶ月後のことだった。もちろん、首都をなす術なく空襲されている時点で、すでに敗北は必至だったとはいえるのだが。

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最後に、聖矛継走がその後に与えた影響についてもみてみたい。

昭和13年の聖矛継走はおおむね大成功として捉えられ、継走というスタイルを今後も続けるべきだという論調が新聞などにも展開された。

こうした空気を受けてのものか、翌14年、後醍醐天皇崩御600年を記念して催行された後醍醐天皇六百年祭では、南朝ゆかりの15の神社が参加した「建武中興神旗継走大会」が挙行されている。

後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮に向けて、14の神社からそれぞれの神紋が染め抜かれた神旗を奉じた一団が継走するというもので、北は福島県の霊山神社、南は熊本県の八代宮からも神旗継走団が送られている。聖矛が奉納された結城神社は、この神旗継走の参加社にも名を連ねていた。

そして昭和15年。この年は「紀元二千六百年」を奉祝するイベントとして、各地で多くの神社巡拝継走が行われたのである。

九州では、霧島神宮の神火を捧げて九州全県を走破する「御神火九州継走」が、長野県では、橿原神宮の神火を諏訪大社にいただき、その分火をもって県下各地を疾走する「橿原神宮聖火継走」が行われた。

横須賀市で開催された「建国祭記念神社参拝継走大会」は、現在の同市市民駅伝の前身になるものだという。

 

最も規模の大きなものでは、軍用保護馬の鍛錬と愛馬思想の普及をはかる、との名目で挙行された「全日本軍用保護馬継走大騎乗」がある。

馬を使っただけに走行距離はぐんと伸び、継走も2班に分けて行われている。

南下班は北海道旭川市の護国神社から奈良県の橿原神宮へ、北上班は宮崎神宮から明治神宮へと、馬上神旗を捧げながら走破。紀元二千六百年にちなみ、両班の走行距離はそれぞれ2600キロになるよう計画されたとのこと。

そして、平和であればこの年に行われたはずの東京オリンピック、そして聖火リレーもまた、紀元二千六百年を祝祭するものとなるはずだったのである。

戦時中に行われたこれら多くの神社巡拝継走は、戦勝祈願、あるいは国威・皇威発揚を大義とし、自治体や官庁もコミットする半官半民の準公的行事として開催されていた。

そこからは、神社と国家が、また神道と国策が一体化するように結びついた、「オカルト国家・日本」というかつてのこの国の姿が浮かび上がってくるようでもある。

2月5日~2月11日の運勢&開運ヒント/牡羊座・牡牛座・双子座・蟹座

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◆牡羊座 3/21~4/20生まれ

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★ラッキー星座ランキング 2位

バレンタインに向けて、サプライズを生みだす星が、いい仕事をしてくれそう。もしかしたら職場あるいは仕事の関係者から、本気チョコをリクエストされて、幸せに浸れるかもしれません。密かな職場恋愛が進行中に人にとっては上々の星回り。公表するには時期尚早ですが、バレンタイン当日は、ムード満点のデートが楽しめそう。

【開運アクション】

見えない努力によって運気が磨かれます。何事も諦めないで。

*開運のチョコレート*

種類よりも渡し方がポイント。本気チョコはこっそりと。義理チョコは仕事仲間を中心に、大っぴらにどうぞ。

 

◆牡牛座 4/21~5/21生まれ

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★ラッキー星座ランキング 12位

バレンタインに向けて準備中の人は、できれば当日、お目当ての相手と食事が楽しめるような計画を立てましょう。美味しいものを一緒にいただくことが、ふたりの距離を一気に縮める最上の策となりそうです。義理チョコは、目上の男性を中心に配ると吉。上司、先輩、父親や祖父あたりが狙い目かも。

【開運アクション】

自分へのご褒美チョコを準備しましょう。極上の物を少量どうぞ。

*開運のチョコレート*

シンプルな物より、あれこれ詰まっている印象の物がおすすめ。

 

 

◆双子座 5/22~6/21生まれ

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★ラッキー星座ランキング 10位

バレンタインに向けての準備は、本気チョコも義理チョコも手を抜かないで。とくに義理チョコをうまく配ると、あなたのファンがグッと増えるはず。シングルの人は、本気チョコで勝負に出るのもあり。パッと渡して走り去るのではなく、きっちりとした告白の言葉を添えることが成功のポイントに。

【開運アクション】

座して待つより行動を。あなたの味方になってくれる人は多いはずです。

*開運のチョコレート*

ひとひねりしたチョコのほうがよさそう。ネットなどで情報を収集しましょう。

 

◆蟹座 6/22~7/22生まれ

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★ラッキー星座ランキング 7位

特定の相手と深いおつきあいのできる星回り。加えて、長期にわたる約束を交わすにもよいタイミング。結婚の話が出たら、思い切って承諾するのも吉。可能であれば当日は、あなたがお店の予約などをして、イニシアチブをとると、運気に弾みがつきます。シングルの人は、チョコレートにちょっとしたギフトを添えて渡すのがおすすめ。

【開運アクション】

細かいことを気にしすぎないで、大らかにいきましょう。

*開運のチョコレート*

ビター系は避け、きっちりとスイートなものが正解。ミント系もgood。

 

2月5日~2月11日の運勢&開運ヒント/獅子座・乙女座・天秤座・蠍座

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◆獅子座 7/23~8/22生まれ

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★ラッキー星座ランキング 8位

バレンタインに向けて、パートナー運が順調に上昇中。先週からその気で行動していたシングルの人は、そろそろ候補者が絞り込めるタイミングかも。かなり有望な相手が出現する星回りなので、奮起してください! いい感じのカップルは、バレンタインといえども女性ファーストのデートコースに幸あり。

【開運アクション】

髪の毛のケアとお洒落を念入りに。魅力が格段にアップします。

*開運のチョコレート*

高級なチョコを少なめに用意して。勝利が見えていますから堂々といきましょう。

 

◆乙女座 8/23~9/23生まれ

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★ラッキー星座ランキング 9位

バレンタインは、やや控え目な落ち着いたイベントにするのがおすすめ。とくにシングルの人は、一か八かの大勝負に出ると残念な結果に終わる可能性がありそうなので、本気を感じさせないような軽めのチョコを選ぶのが無難かも。カップルの人は、チョコを渡しつつ、将来について話しあうとよさそう。

【開運アクション】

身近な人たちへの義理チョコの準備にも力を入れて。人間関係の潤滑油になります。

*開運のチョコレート*

ミルキーで上質なチョコが、甘いムードを運んでくれます。

 

◆天秤座 9/24~10/23生まれ

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★ラッキー星座ランキング 6位

バランスのよい星の配置に恵まれ、幸せなバレンタインを迎えられそう。カップルの人はグレードが高めのチョコを用意して。シングルの人は、何人かに義理チョコより少し上のチョコを渡して、反応を見てはいかが。週の前半はメランコリックになりがちなので、お買い物をするなら週の後半以降が吉。

【開運アクション】

友人主催のイベントにツキあり。声がかかったらお出かけください。

*開運のチョコレート*

ビター系に開運効果あり。ラッピングはシックなものがおすすめ。

 

◆蠍座 10/24~11/22生まれ

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★ラッキー星座ランキング 4位

バレンタインに向けて、アットホームな演出を準備すると、成功の確率が高まりそう。カップルの人は、相手を自宅へ招いて、手作りのチョコケーキなどを一緒に食べるのもおすすめ。シングルの人も、ひと手間かけたチョコを用意したいところですが、やりすぎると重くなるので、ほどよく加減して。

【開運アクション】

無理を通そうとしないこと。楽にできることを確実に進めましょう。

*開運のチョコレート*

華美なものより素朴なもののほうが好感触。ナッツ入りも吉。

 

2月5日~2月11日の運勢&開運ヒント/射手座・山羊座・水瓶座・魚座

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◆射手座 11/23~12/21生まれ

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★ラッキー星座ランキング 3位

コミュニケーションの座にポジティブな星が集まり、バレンタインデーに向けて、明るい光を投げかけてくれそう。ほかの星についても、ビシッと決めるには適した配置です。本気チョコを準備して、絆をいっそう深めましょう。シングルの人にとっては告白の大チャンス。ただ渡すだけでなく、言葉や手紙を添えて!

【開運アクション】

やろうと思いながら、まだしていないことにチャレンジを。ジャンルは問いません。

*開運のチョコレート*

奇をてらったものは避け、超有名店か老舗の本格派チョコで勝負を。

 

◆山羊座 12/22~1/20生まれ

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★ラッキー星座ランキング 5位

成就と試練、両方の波に揉まれている山羊座ですが、バレンタインに向けてポジティブな星の加護を受け、充実した時間を過ごすことができそう。本気チョコから義理チョコまで、お祭り気分で楽しく準備しましょう。告白のチャンスをうかがっている人は、重たい感じにならないことが成功への鍵です。

【開運アクション】

身近な人に思いやりの言葉を。予想以上に喜んでもらえます。

*開運のチョコレート*

ラッピングはセンスよく。メッセージカードをぜひ添えましょう。

 

◆水瓶座 1/21~2/19生まれ

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★ラッキー星座ランキング 1位

バレンタインに向けて、ポジティブな星のパワーが水瓶座に降り注いでいます。あなたが行動を起こしさえすれば、たいていのことが面白いようにうまくいくはず。友達以上・恋人未満の状態で足踏みがつづいている人は、ぜひ勇気を出して気持ちを伝えましょう。カップルの人も、関係をさらに強化するチャンスです。

【開運アクション】

暖色系のカラーをファッションのワンポイントに。

*開運のチョコレート*

どこかの王室の御用達など、海外の高級ブランドがおすすめ。

 

◆魚座 2/20~3/20生まれ

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★ラッキー星座ランキング 11位

ひょっとしたら、人にいえない恋が進行中なのでは。「私がいないと、この人はダメになる!」なんていう思考回路は赤信号です。今のあなたは、問題の多い人やパートナーのある人にひかれやすく、自分を犠牲にして相手に尽くしがち。2週間もすれば夢から覚めるはずなので、軽はずみな行動は厳禁。

【開運アクション】

思いつめないこと。友人などにグチを聞いてもらうのもおすすめです。

*開運のチョコレート*

お手ごろ価格の義理チョコに力を入れて。秘密の恋の相手に本気チョコを渡すのはNG。

 

20年の時を超えて甦る概念『霊的ボリシェヴィキ』とは? 高橋洋×武田崇元 対談

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霊学的なあの世はどこにあるか

ホラー映画の巨匠、高橋洋監督の最新作──。それが『霊的ボリシェヴィキ』だ。本誌でおなじみの武田崇元氏が、1970年代に提唱したこの概念にインスパイアされた作品の魅力と霊的世界の真実を、ふたりの巨匠が大いに語り合った‼

takahashi-takeda2 武田 『霊的ボリシェヴィキ』はいろいろな解釈の余地のある奥の深い映画だと思うのですが、高橋監督の作品のなかでいうと、『恐怖』と世界観的には通底してますよね。

高橋 そもそもの経緯は今から20年以上も前に、武田崇元さんのインタビューで「霊的ボリシェヴィキ」という概念を知ってめちゃくちゃ昂揚して、国会図書館に行って武田さんが過去に書いたり編集したものを集めはじめたんですね。

それで2000年代に入ってからですが、Jホラーシアターで1本撮らないかという話があって、出した企画が『霊的ボリシェヴィキ』。ですから、そのときに原型はできていたのですが、一般向けじゃないという理由で否定されて、それで考えたのが『恐怖』。なので同じ想像力のなかで成立したものなんです。ただし『霊的ボリシェヴィキ』が最初にあって、『恐怖』のほうが副産物なんです。

武田 なるほどそうだったんだ。この映画でまず「ムー」的にむふふと思うのは登場人物。主催者が浅野、最初に告白する刑務官が三田……。

高橋 浅野は浅野和三郎、三田は月の裏側を念写した三田光一。

武田 で、主催者側の霊能者が宮地なんですね(ちなみに役名表記は宮路)。死後の世界ではなく異界に出入りし、『異境備忘録』を残した宮地水位 。

宮地の先輩が平田篤胤で、彼は『霊能真柱』で大国主尊が死後の世界を支配するというビジョンを語り、神道に幽冥観を持ちこんだといわれている。だけど篤胤が執着した、仙道寅吉の「あの世」は死後の世界ではなくて、天狗が棲息する異界。「あの世」問題は神道霊学的にも重要なテーマだったんです。

高橋 そこまでの背景は知らないで名前をつけたのですが……。

武田 何かが監督の脳を操作してそうなってしまうんです。音楽を担当された長嶌寛幸さんからちらっと聞いたんですが、監督は幼少期にかなり異様な体験をされたとか。すでにそのころにわけのわからない世界からコンタクトされてたんじゃないかという疑いがある(笑)。

 

高橋家の封印された隠し部屋

高橋 実際に起きたのはきわめて単純なことで、僕は昭和34年に千葉県の田舎で生まれました。両親が結婚して住んだのが、木造のすごく古い2階建ての一軒家。茅葺屋根で、2階は雨戸を締め切った状態で、両親と僕は一階で暮らしていました。

それで、庭に出て遊んでは2階を見上げて、自分は2階に一度もあがったことはないということに子ども心にも気づいたんですね。2階があんだから階段もあるよねと思って捜すんですが、ない。親に聞くと「ないのよ、もともと」とかいう。

子どもだから真剣に追求するわけでもなく、1階だけで暮らしていました。

武田 それ、単純なことじゃないと思うんだけど(笑)。

高橋 それでトイレに行く廊下がL字型に曲がっていて、夜中はとても怖い。何かいるっていう感覚があって、今夜こそ何かを見ちゃうかもって思ってたんだけど、何もいない。だから慣れていって、今夜も大丈夫だろうって油断してたら……出た。

武田 油断させておいて、出たんだ(笑)。

高橋 白いもやっとした、半なかば人の形のぼんやりしたものがいた。廊下を曲がったどん突きのところにふわっと。見た瞬間に身体中がぶるぶるぶるって震えて、気がついたときには父親が頬ほおを張りながら、いったい何があったんだって……。

それはそれで終わったのですが、その白いのが現れたのがどん突きの納なん戸ど の扉。そこが気になって仕方がない。昼間、まだ明るくて怖くないときに納戸の扉を開けて、なかにあったものをぜんぶ出して調べたら、そこに階段があった。

で、「階段あるじゃん」と思ったら、途中でベニヤ板で釘が打ちつけられて塞ふさがれていた。親に聞いても知らないというんですね。ところが妹が生まれると、手狭になったから子ども部屋を2階に作ることになった。

武田 なんだか、すごくプラグラマチックな成り行きとでもいうべきなのか……(笑)。

高橋 大工さんたちが納戸の隠し階段のベニヤを壊すのを待ちかまえて、その後について2階にぱあーっと入ったら、蒲団が敷きっぱなしで、小卓にお茶碗とかも置いたままで、ある時点で時間が止まったような部屋だった。「いったい何?」って親に聞いてもわからない。うちの親の性格として、隠してるんじゃないんですね。ほぼ興味がないんです。僕はすごく興味があるから、「どういうこと?」って聞くんだけど、「わかんないな」という反応なんですね。

武田 怖いとも思わない?

高橋 思わないんですね。ふたりとも徹底的にリアリストというか……。

それから、前にこの家に住んでいたお爺じいさんが、「ちょっとお庭を拝見させていただけますか」って尋ねてきてましたね。庭から家を見上げ、梅の木も見させて下さいって、庭にずっと立ってる。いくら母親がお茶でもと誘っても、絶対に家にはあがらない。しばらく庭にいて、帰って行くという……。

武田 それ、何歳のときの話?

高橋 廊下で変なものを見たのは7〜8歳のときで、そのお爺さんは僕が高校ぐらいまではたまに、忘れたころにふらっと来てました。

武田 その家はまだあります?

高橋 ありますよ。

2階は僕たちの子ども部屋に改築されて、だから中学、高校はそこで……。

武田 そんな怖い部屋に……。

高橋 夜中にいろんな目に遭いましたよ。悲鳴をあげて、ふと気がつくと親が部屋に来ていたりということがたびたび……。

武田 また白いものが出た?

高橋 あ、いや夢にうなされたり、金縛りにあったって程度で。

武田 今回の映画で、2階から由紀子のお母さんが手を振るというシーンがありますが……。

高橋 あそこは完全に、自分の生家をイメージして書きました。庭と2階の窓が見える位置関係とか……。

武田 いやだねえ。怖いねえ。でも、「高橋洋監督・恐怖の生家ツァー」というのをやってみたい(笑)。

 

政治とオカルト運動

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映画『霊的ボリシェヴィキ』より。

高橋 そんなこんなで、本題は映画タイトルの『霊的ボリシェヴィキ』ですが。

武田 そうだった(笑)。

高橋 いろんな解釈を呼びこむフレーズなんですが、武田さん的にはそもそもどういうところから出てきたのでしょうか。もっと早くに知りあっていたら、深く聞いて企画を立てられたと思うんですけど、勝手な解釈でやっちゃたんで……。

武田 いや、それでよかったんじゃないですか。こういう言葉って「誤配」があったり、わけがわかんないから面白いんであって、先に発話者の意図なんか聞いてしまうとイメージが束縛されてしまうでしょう。

高橋 まあ、そうかもしれませんね。

武田 「1968年革命」という政治的な熱量を帯びた時代を通過して、1970年代にオカルトに傾斜していったわけで、「霊的ボリシェヴィキ」というのはそのなかで降りてきた言葉なんですね。「霊的革命」という言葉とワンセットで。

だから『出口王仁三郎の霊界からの警告』(1983年)の付章は、「霊的革命者・出口王仁三郎」としたのです。

高橋 それ以前に武田さんが編集された本に、金井南龍の『神々の黙示録』(1980年)というのがありましたね。

白山に封じこめられた古代の神がいて、それに比べると皇室の天照大神は8合目ぐらいのランクの神様でしかない。だからそういう存在まで消された古い神々を呼び覚まして、政治状況や社会状況を刷新するというビジョンが語られてました。武田さんとしては、そうした神々を祀っていたひとつが、大本教(おおもときょう)だったわけですね。

武田 大本教の起源は非常に複合的で、歴史の表層から失われたありとあらゆる秘教的なものが流入し、王仁三郎によって再編されていきました。王仁三郎はその封印された神々を現実へと解き放ち、それが2度におよぶ大本事件として現象した。そういう失われた神々の復活というイメージが、霊的革命とか「霊的ボリシェヴィキ」といったた場合の基層にありました。

政治的領域と踵かかとを接するオカルト運動というのは、必ず神々の復権というテーゼを伴います。たとえば、ロシアのネオ・ユーラシア主義のアレクサンダー・ドゥーギンに影響を与えたイタリアのユリウス・エヴォラなんかもそうです。

 

エヴォラの思想とペーガン帝国主義

高橋 この映画はドゥーギンも参考にしたので、そのあたりはすごく興味ありますね。

武田 エヴォラはイタリアのファッショにコミットしたオカルティストで、戦後のイタリア極右のグルみたいな人なんですが、その背景にあるのはフランスのルネ・ゲノンの伝統主義なんですね。

ゲノンの伝統というのは、俗流保守的な価値観ではなくて、世界の伝統宗教の根底にあるものを指します。伝統宗教は表面的にはそれぞれ違うけれど、秘教的な核心は共通していて、その源泉は非人間的で超越的なものだというんですね。

しかし、西洋文明はもうダメだと。14世紀初頭のテンプル騎士団の壊滅以降、西洋は超越的なるものに対する意識を失ったからだというんですね。そしてゲノンはヒンドゥーに傾倒し、最後はスーフィーになる。

ユリウス・エヴォラは初期のダダのひとりで、1920年にトリスタン・ツァラによって2冊の詩集が刊行され、画家としてもけっこういい絵を残していたんだけど、ルネ・ゲノンの伝統主義に影響を受け、それをエキセントリックに変容させつつ、ファシズムに傾倒していくわけです。

で、1928年に『ペーガン帝国主義』という本を出します。

高橋 ペーガンというのは「異教」という意味ですね。キリスト教以前の異教を指しているんですよね。

武田 はい。それでエヴォラは古代ローマの神々を復興し、そこにこそファシズムの基盤を置くべきだと主張し、カトリックを攻撃します。ファッショにはラディカルな人もいたけれど、支持基盤の主流は普通の保守の人たちです。もちろんカトリックなので、大問題になる。だからエヴォラはファッショ体制下では主流ではなかったんだけど、思想的にもっとも深く突っこんでいるので、戦後ヨーロッパの極右の間では預言者、グルみたいな存在になる。

で、その『ペーガン帝国主義』が、なぜかモスクワのレーニン図書館のだれでも見ることができる開架式の棚にあって、それを1980年にドゥーギンが翻訳して地下出版します。なぜかレーニン図書館には伝統主義の本が、閉架式も含めるとけっこうあって、新右翼培養の養分になるわけです。

(後編に続く)

 

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映画『霊的ボリシェヴィキ』
Jホラーの巨匠、高橋洋監督の最新作。集音マイクが仕掛けられた奇妙な施設に集められた、かつて「あの世」に触れたことのある人々。強すぎる霊気によってデジタル機器は働かないこの部屋で、やがて静かにアナログのテープが回りはじめる。始まったのは、禁断の心霊実験だった‼
●2018年2月10日より、ユーロスペースほか全国順次公開。


飛行機の後ろに謎の球体が!/読者投稿

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猛スピードで動く物体

投稿者:鈴木 さん/UFO・未確認生物の目撃や遭遇

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2017年12月10日(日)午前10時ごろから自宅上空を飛び交う航空機の写真を撮影して楽しんでいました。撮影場所は静岡県三島市です。

 

旅客機を中心に、鳥やヘリコプターの写真など400枚以上撮影した後、東から西方向に向かって飛行する旅客機にカメラを向けて1、2枚撮影した直後、左手に銀色に明るく輝く点が、飛行機の前方から飛行機に向かって(飛行機の進行方向とは逆方向へ)現れました。

 

見かけ上の速度では飛行機より比べ物がないくらいの猛スピードで近づいてきたので、慌ててファインダーに飛行機を捉え直し、光る点がファインダーに入った瞬間シャッターボタンを押したところ、光る点はすでに航空機の後方で、かろうじて画面の中に捉えることができました。

 

その後光る点がどうなったのかすでに視界から消えていたのでわかりません。

一瞬の出来事でした。速度からして金星などではないと思います。

 

撮影時刻は12時16分と記録されています。機材はキャノンFD400mm,2xエクステンダーにキャノンFDーニコンF変換マウントでニコンD3300に装着した状態での手持ち撮影で、幸運にも手ブレがなく、ピントも合っています。6.2Mbのまま拡大すると肉眼での印象と異なり、色は黄で、形が球形の物体で太陽光を反射した部分と影の部分に分かれています。

 

ラジオゾンデだとすると、直径2メートルくらいで、飛行機の機体の画像上の大きさとくらべ、飛行機の高度の約70パーセントの高さを飛行していたと考えられます。西から東に向けて飛んでいたので、偏西風にながされているのであれば、偏西風の速度を時速300キロとしても見かけのスピードは飛行機と同じか、遅く見えるのではないかと思われるのです。

飛行機とすれちがった瞬間の写真ですね。ご指摘の可能性のような気象観測器だとしても速すぎる? 送っていただいた画像を拡大すると、陽光を受けた球形が確認できましたが、なんでしょうね……???

ロシア革命と妖精事件を霊界が結ぶ! 高橋洋×武田崇元『霊的ボリシェヴィキ』対談

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革命のために革命家の血を輸血!

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高橋 僕が最初に「霊的ボリシェヴィキ」という言葉から受けた印象は、異教の神々の復活だとかそういう背景は知らなくて、とことん唯物的な人たちと霊的なものが掛けあわされたらどうなるんだろうということと、さらにボリシェヴィキには目的に対して急進的に向かっていくというイメージがあって、そういう人たちが霊絡がらみで何かやらかしてしまうんだというぐらいの感じでした。でもそれは、めちゃ格好いいぞみたいなことで、入っていったわけです。

それで僕なりに調べていくと、ボリシェヴィキでレーニンの論敵だったボグダーノフという人がいて、革命後もボリシェヴィキ的な人間を作りだすためにいろんな研究をやって、人間を革命化するためには、革命化を達成した人間の血液を輸血すればいいなんていうことをいってると知ったのです。

つまり、とことん物質にこだわるんだけれども、物質的なものを通じ、何だかよくわからない霊的な何かを呼びだしてしまうみたいな構図なんですね。

そういうところから、あの世に触れたことがあるという、ある種の天分をもった人を集めて降霊実験を行うという、あの構造はかなり早くから僕のなかにはありました。

それでJホラーシアターで企画を立てたときは、オムニバス的な映像を考えていたんですが、インディペンデントになると予算がないから、語りでいこうと。体験をひたすら語る、つまり音声ですね。音声もいってみれば物質界の出来事ですから、物質です。その音の力によってただならぬ雰囲気になってしまうという、よく考えてみれば昔ながらの百物語と同じ、トラディショナルな構造に行き着いたわけです。

武田 語りでこれだけ異様に緊密な世界を作りきった監督の才と、キャストの力に驚きましたが、高橋監督的には「霊的ボリシェヴィキ」という言葉の衝撃から、何かに導かれるかのようにこの形態に行き着いたということですね。

ところで、ドゥーギンを参考にしたというのは……?

高橋 ドゥーギンは国家ボルシェヴィキ党という、「霊的ボリシェヴィキ」と同じくらい矛盾した感じに突っ走っていた時期がおもしろくて。その国家ボリシェヴィキ党の合い言葉が「ダースメルチ」─「そうだ、死だ‼」っていう意味なんですね。

武田 それがあの呪文に。

高橋 あの世を召喚する呪文に悩んで、僕は露文(ろぶん)出身なんで友人たちにエロイムエッサイムみたいな呪文ってロシアにないのか聞いたのですが、ないっていうんですね。で、これだってなったんです。

武田 最初からじゃないんだ。

高橋 レーニンとスターリンの肖像も現場での発想なんです。

武田 ええっ、そうなの? あの場面を見せたいがために、この映画を作ったんだと思ってたんだけど。

高橋 結果的にそうなんだけど、後づけ。党歌は脚本からあったんですが、肖像は現場で閃ひらめいたんです。

武田 スターリンというのはやはり、ドゥーギンなんかによるスターリン再評価が導線としてあった?

高橋 たぶん……。それで現場で思いついて2枚を並べたらどんどんスターリンが盛りあがって、なんで自分がスターリン肯定に向かうのかわからないんだけど、「スターリンの恐怖政治こそは……」ていうセリフもその場で出てきました。

武田 憑かれてるよね。スターリンによる古参ボリシェヴィキの粛正って、裏切りであると同時に生け贄でしょう。執行したのが元メンシェヴィキの検事総長ヴィシンスキー。非常に神話的な構造がそこにはあって、「ダースメルチ」にしても、そういうのがどんどん現場を侵犯していったというのが凄いね。

 

異界は平面に映ずる

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映画『霊的ボリシェヴィキ』より。

高橋 奇しくも2017年は、ロシア革命100周年であると同時に、コティングレー妖精事件の100周年だったそうです。

武田 霊能者の宮路がコティングレーの写真を見せて、自分が触れてしまった世界はあえていうとこういう感じだったという。

あれ、すごくリアリティがあるのですが、霊的なものが人間には平面的に映ずるという発想は、どこからなんですか?

高橋 『リング』で、呪いのビデオをどう表現するのかというのでリサーチしていたときに、幽霊が見えるという女性が「しいていえばCG」だといっていたんです。でもCGではピンと来ないというと、「色つきの砂絵」だと。つまり幽霊は動くときに、砂の粒子が一斉にざざざざざっと移動してるように見えるというんですね。

その後、Jホラーブームになって、いろんなホラー映画を霊能者に見てもらって、どれが自分が見てる霊に近いですかと尋ねる深夜番組があったんですが、全員が指し示したのが、黒沢清監督の『降霊』で窓に映っている霊だったんですね。どうやって撮ったかというと、人の写真を窓に貼っただけだったんです。

武田 まさにコティングレーだ。

高橋 僕は昔から、いちばん怖い心霊写真はコティングレーだって、いかにも作りものなんだけど、いちばん気味の悪いのはこれなんだといいつづけてきました。本当に人間が異界に触れる瞬間を捉えたらこうなんじゃないのという感触がずっとありました。

武田 「山の稜線のところを何かが這って」という語りも怖い。僕は記憶があるというか、そういうのを見たような気がする。この映画が怖いのは、実は俳優さんが語っているだけなんだけど、話したり回想したりしてるうちに、脳内で視覚化しちゃってる。だから、見た記憶というのも作られた記憶かもわからない……。

高橋 僕は神道霊学もボリシェヴィキもよくわからずにこの映画を作ったんですが、結局、行きついたのは異界の何かの召喚だったんですね。モスマンの話で、ネイティヴ・アメリカンたちの語りに、白人が入植する以前のウェストバージニア州あたりに「白い人」が住んでいたという話があって、『霊的ボリシェヴィキ』で呼びだそうとしたのはそういうものなんでしょうね。

妖精的な何か。いないはずのものがいるという、ゾッとした感覚ですね。

武田 この映画は、それをリアルに体感させてくれました。

 

(ムー2018年2月号より抜粋)

 

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映画『霊的ボリシェヴィキ』
Jホラーの巨匠、高橋洋監督の最新作。集音マイクが仕掛けられた奇妙な施設に集められた、かつて「あの世」に触れたことのある人々。強すぎる霊気によってデジタル機器は働かないこの部屋で、やがて静かにアナログのテープが回りはじめる。始まったのは、禁断の心霊実験だった‼
●2018年2月10日より、ユーロスペースほか全国順次公開。

夢源樹チャンネル 秘密喫茶 居皆亭№22 ゲスト 吉田悠軌

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タイムスリップ遭遇話 幽霊をひき殺す

夢源樹チャンネルで配信中の「秘密喫茶 居皆亭」。第22回目のゲストは、吉田悠軌さんです!

 

この続きは「夢源樹」にて!

話してはいけないタブーとされた亡霊譚/黒史郎の妖怪補遺々々

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妖怪補遺々々(ようかいほいほい)

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第24回は、口にすることすら恐れられる「決して話してはいけない怪異」を補遺々々しました。

 

話してはいけない話

百物語をすると怪異が起きる。怪談を語ると霊が寄ってくる。このようなことは昔からいわれてきました。こうした前振りがあると、語る者や聞く者に特別な緊張感が生まれ、座も盛り上がるというものです。

今回ご紹介するのは、そういった類の話ではありません。

口にすること自体、タブーとされている禁じられた話です。

鹿児島県奄美の一部地域では、「イマジョ」「イマジョゥ小(グワー)」という人物の話をすることはタブーとされてきました。

仲宗根幸一氏は「沖縄・奄美の怪談三題」 (『南島研究』二十九号) の中で、このイマジョゥ小について大変興味深い報告をされています。なかでも、取材を受けた人々の対応が、とても印象的でした。知っていても「知らない」と答える人、「怖い話だからかんべんしてくれ」と多くを語りたがらない人、「このあたりでその話をすると大変なことになる」と恐れる人。

住人たちはいったい、何を恐れていたのでしょうか。

以下は、1975年に採集されたという、たいへん哀しく、恐ろしい話です。

 

タブーとされた悲劇

薩摩藩の黒糖政策に苦しんでいた時代のことです。イマジョゥ小という女性が、寂しい海辺の村に住んでいました。とても貧しい家に生まれた彼女は、多くの土地を持つ農家へと奉公にいくことになりますが、そこで困ったことになってしまいます。奉公先の主人が美しい彼女に心を奪われ、なんとかモノにしたいと考えるようになったのです。

イマジョゥ小は賢い女性なので上手にかわしていたのですが、主人の妻が黙ってはいませんでした。夫のイマジョゥ小への感情を知ってしまい、嫉妬に狂った妻は彼女に対し、壮絶なイジメを開始するのです。

イマジョゥ小は女主人から厳しいしごきを受け、毎日のように泣いていました。イジメは日を追って激化していき、やがて、取り返しのつかない事態を招いてしまいます。

主人が留守中のことでした。あらぬ噂を立てられてしまったイマジョゥ小は、女主人から折檻を受けることになるのです。あまりにもひどい内容なので詳細をひかえますが、焼けた火箸を身体のあらゆる箇所に押しつけるといった残酷な行為でした。

その結果、無念にもイマジョゥ小は死んでしまいますが、病死ということにされて村のはずれに埋められてしまいます。娘の死を知った家族は驚き、哀しみ、奉公先のある村へ遺体を引きとりにいきました。しかし、奉公先の家はそれを断りました。

これを不審に思った家族が、周囲の人々から話しを聞いてみると、娘が殺されて埋められているという物騒な噂を耳にします。

遺体の状態を見れば、イマジョゥ小の身に何が起きたのか、わかるはず……遺族は埋められているという場所へと向かいますが、奉公先の主人に雇われた用心棒がいて、だれも近づけさせません。両家は対立してしまいます。

しかし、時間が経てば経つほど真相を知る機会は失われてしまいます。そこで遺族は奉公先に和解を持ち掛けました。これには奉公先も喜び、では、手打ちにしようとなって、酒宴が行われることになります。こうして警戒が解かれた隙をついて、遺族たちは埋められているイマジョゥ小を掘り起こしにいき、その無残に変わり果てた姿を目にしてしまいます。

 

怒り、悲しんだ遺族は、遺体を引き上げるとき、イマジョゥ小にこう伝えました。

奉公先の家を呪え……その家があるこの地を徹底的に呪え、と。そして、彼女が埋められていた場所に竹を逆さまに植え、そこにも呪いをかけました。こうしてイマジョゥ小は故郷へ帰ることができ、遺族たちによって手厚く葬られます。

 

――その後、呪われた地域ではさまざまな怪異が起きることになります。

奉公先の庭に血だまりが現れる。風呂敷包みを持った女がイマジョゥ小の姿に化ける。白い犬がイマジョゥ小に化ける(南島では白い犬が怪異をもたらす話がいくつかあります)。

また、逆さに植えた竹が成長し、枝が枯れて折れる毎、人が変死しました。それは呪われた地域のみならず、なぜかイマジョゥ小の生まれ育った地域でも起こりました。

呪いはおさまることを知らず、その影響は現代にまで及びます。亡霊と化したイマジョゥ小の姿を見たという者が次々と現れ、人々を脅かしました。人の行方がわからなくなると、イマジョゥ小の亡霊に迷わされたのだろうと噂が立ちました。風呂敷包みを持った姿でイマジョゥ小がバスに乗り込んでくるのを目撃した人もいます。山中の拝所で髪を垂らした白装束の女が歩いているのを目撃され、イマジョゥ小がいたぞと村中が大騒ぎになったこともあったそうです。

今も、彼女の呪いは続いているのでしょうか。

 

(※地名や家名といった詳細な部分は伏せています。)

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消えてしまった僕らの「四次元」1/昭和こどもオカルト回顧録

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昭和研究家によるオカルト回想!

70年代オカルトブームのまっただなかで小学生時代を過ごし、高校生になってもいわゆる「怪奇系児童書」の類を読み漁ってきたボンクラ少年としては、80年代なかばあたりからのオカルト児童書の傾向にちょっとした不満を抱いていた。

僕が年端もいかぬガキのころから大好きだった70年代オカルト本の2つのジャンル、「幽霊船」と「四次元」が、80年代に入ったころから徐々に「旬の話題」からハズされ、これらを扱うオカルト児童書がガクンと数を減らしてしまったのだ。

このことについては自著でも何度か書いているのだが、同世代かつ同レベルのボンクラ度の元オカルト少年じゃないとどうもピンとこない話らしく、「なにをいってるのかよくわからん」などと笑われてしまう。なので、ここでまたちょっとシツコク書いてみたいのである。

 

幽霊船はどこへ消えた?

「幽霊船」と「四次元」。

これらは70年代までの子ども向けオカルト本の2大テーマ……というと言い過ぎかも知れないが、かなり主要な定番ネタだったはずだ。オカルト系の児童書シリーズにはたいていこれらを扱う巻が何冊か入っていたし、昭和のオカルト児童書の定型である「世界の不思議な話」みたいな奇譚アンソロジーのようなものにも、この2つは必須のテーマだったと思う。

「幽霊船」の方は、敗戦直後から児童雑誌の主要コンテンツとなっていった絵物語(イラストとテキストで構成された読みもの。後にストーリーマンガに駆逐される)としてよく掲載されていた「海洋冒険物語」(海賊が出てきたり無人島で宝探しをしたり、といった話)の名残だったのだろう。

70年代までのオカルト児童書には、禍々しくも謎めいた「良栄丸遭難事件」(1926年に起きた海難事故。原因不明のまま乗組員が全員死亡・行方不明になった)の話がやたらと載っていたし、このジャンルの大家であるロベール・ド・ラ・クロワの海洋奇譚も定番だった。僕ら世代はそういうものをワクワクしながら読み漁っていたわけだ。

あと、そうだ、1980年に公開された「幽霊船」映画『ゴースト/血のシャワー』(アルヴィン・ラーコフ監督。それにしてもヒドイ邦題。原題は『Death Ship』)の衝撃で、ほんのちょっとだけ「幽霊船」ネタが子ども文化のなかで再燃したこともあった(バンダイのボードゲームのシリーズ「パーティージョイ」に「幽霊船ゲーム」が加わったのも、確かこのころだったと思う)。

おそらくこの80年代初頭あたりのプチ盛り上がりを最後に、「幽霊船」ネタはどんどん下火になって、「昭和こどもオカルト」の世界からほぼ消えてしまったと思う。これについてもアレコレ語りたくなってきたが、話がとっちらかるので別の機会にまわすとして、本稿で語りたいのはあくまでも「四次元」についてなのである。

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『ゆうれい船のなぞとふしぎ』(ド・ラ・クロワ・著 1972年 講談社少年少女文庫)。ロベール・ド・ラ・クロワの幽霊船話アンソロジー。海洋奇譚といえばこの人!という感じで、当時は多数の児童書にド・ラ・クロワの作品が収録されていた。

「四次元」が「昭和こどもオカルト」においてクローズアップされるようになった根底には、いうまでもなく「魔のバミューダ・トライアングル」があった。これはもう当時のオカルト児童書の定番中の定番ネタで、これが載っていないオカルト本を探すほうが難しい、というくらいに語られまくったトピックだ。

この種の話が大好きだった僕でさえ、当時は「もうバミューダの話はいいから!」とウンザリするくらいにアレコレの本や雑誌の特集で目にしたものだ。なので、ここでまた概略を解説すると同世代の連中を40年越しでウンザリさせてしまうかも知れないが、一応やっておくと、バミューダ・プエルトリコ・フロリダを結ぶエリアに「魔の三角地帯」が存在し、ここを往来する航空機や船舶が跡形もなく消失するっ!……といった類のお話である。このエリアに「四次元」への入り口があるのでは?というスリリングな仮説が当時の「こどもオカルト」界を席巻していた。

「魔の三角地帯」という発想は、1881年に起こった「エレンオースティン号事件」(航海中のオースティン号が無人の漂流船を発見。調査を開始したが、オースティン号の乗組員も船もろとも忽然と姿を消したっ!……とされる事件)を起源としているといわれている。つまり、「四次元」の源流をたどっていくと「幽霊船」にぶつかるというわけで、このあたりも実は非常に興味深い。

それはともかくとして、「魔の三角地帯」を世界に知らしめ、この海域で起こる謎の現象の定型パターンをつくったのが、1945年に起こった航空機消失事件だ。フロリダの米軍基地から飛びたった5機の軍用機が、「方角がわからない!計器が機能しない!すべてがおかしい!」といった不可解な通信を残し、忽然と姿を消したっ!……とされる事件である。70年代のオカルト児童書はこぞってこの顛末を掲載し、いたいけな僕らに「魔の三角地帯」の恐ろしくも魅惑的なイメージを植え付けた。

このネタは当時の映画やマンガなどでもちょこちょこ触れられていたが、特に『未知との遭遇』(1977年、スティーブン・スピルバーグ監督)の序盤のエピソードは妙なリアリティがあって恐かった。バミューダで消失した船舶や飛行機がなぜか南米の砂漠で発見されるという場面。砂漠のど真ん中でデカい船が座礁(?)している光景は不気味だったなぁ……。

あと、『エアポート’77 バミューダからの脱出』(1977年、ジェリー・ジェームソン監督)! 当時の男の子たちが大好きだった「航空パニック映画」+「魔の三角地帯」とくれば、これはもうオムライスの上にハンバーグを載せたような大好物映画だっ!と期待して見に行ったら、なんとオカルト感はまったくナシ。特に不思議なことはなにも起こらず、ただ「一応バミューダ海域を舞台にしておきました」というだけの航空機事故映画だった。「金返せっ!」と思ったことを覚えている。

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『月刊ムー』1981年1月号より。

「バミューダ・トライアングル」に比べるとスケールは一気に小さくなるが、日本国内でも当時の児童書で語られまくった「四次元的怪現象」が起こっている。「国産」エピソードの定番として有名なのが、1963年(日付については諸説あるが、1964年の春に新聞で取りあげられて話題となった)に起きたとされる「竜ヶ崎車両消失事件」だ。

これまた僕ら世代はさまざまな本や雑誌で繰り返し読んだエピソードで、掲載される媒体によって細部がアレコレ違っていたり、尾ヒレがいくつもついたりしていたが、茨城県の藤城バイパスを走行中の黒いトヨペット・クラウンが後方の車両に乗る人たちの目の前で、突如、白い霧に包まれ、そのまま忽然と姿を消したっ!……という事件だ(「忽然と姿を消したっ!」という話ばかりが続くが、「四次元」ネタというのはそういうものなのである)。

これについては近年に至るまでさまざまな人がいろいろな解釈を披露し、オカルトではなく、ある種の犯罪がらみのフェイクだったのでは?といった説もあったりしてなかなかおもしろいのだが、とにかくこの事件は当時の多くの子どもたちを魅了した。

バミューダの話は海の向こうで起こった非常にスケールのデカい地球規模の「SF的怪現象」という感じだが、「茨城県で……」とか「トヨペット・クラウンが……」となってくると、同じ「消失事件」でもガラリと様相が変わって、とたんに身近な感じがしてしまう。日本的な「神隠し」っぽさがウッスラと漂ったりして、ゾゾッと背筋に悪寒が走るのだ。この「不条理怪談」とでも呼ぶべき不可解な怖さも、「四次元」エピソードの多様な味わいどころのひとつである。

というわけで、次回は以上のようなエピソードがたっぷり掲載された70年代の子ども向け「四次元本」を何冊か紹介してみたいと思う。いずれも僕ら世代のオカルト少年たちが文面を暗記してしまうほど繰り返し愛読した定番の「名著」だ。それらを回顧しつつ、なぜ「四次元」ネタが徐々に人気を失っていったのか? といったことを考察してみたい。まぁ、そんなことを今さら考察されてもなぁ……っていう話ではあるだろうけど。

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『月刊ムー』1979年11月号(創刊号)より。

 

時代を転換させる海の結節点! 横須賀歴史ミステリーに「ムー」コラボ

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横須賀を巡り、謎を解け!

走水、観音崎、浦賀、久里浜……。神奈川県横須賀市に歴史的転換点が集中するのはなぜか?

現地を巡ることで、その謎が明かされるという……。

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浦賀、久里浜は、幕末のペリー提督を迎えた日本の歴史上で重要な場所だ。現在の米海軍施設を見下ろす塚山公園には徳川家康に外交顧問として重用されつつも後の鎖国政策で辛酸をなめた三浦按針(ウィリアム・アダムス)の供養塔もあり、ここ、横須賀は鎖国と開国の両面にゆかりがある。

さらにいえば、観音崎は『ガリバー旅行記』で日本がモデルとなったエピソードの場所ともいわれ、1954年の映画『ゴジラ』でゴジラが初めて出現したのも観音崎沖のことだ。横須賀は外洋から異邦人や脅威を迎える宿命を背負っているようだ。

それには理由がある。

記紀によれば、ヤマトタケルの東征の際、荒ぶる海神に行く手を阻まれたのが、浦賀と観音崎の間にある走水の海。そこで妃のオトタチバナが入水することで、波は凪いだ、と記されている。これにより当時の日本の中央と東方(関東と房総)は結ばれることになる。

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オトタチバナ入水の図(走水神社蔵)。

 

そう、古代より横須賀の海は国難を受け入れ、それを克服することで歴史的な転換へつなげてきた聖地なのだ。

東京湾の入り口という地理的な条件を踏まえても、この地が持つ霊的な役割は深い。

そして、これらの歴史スポットをつなぐミステリーイベントが横須賀市内で開催されることになった。参加することで、横須賀に隠された歴史と世界の真実に気づくことができるだろう。

謎解きイベント

「総力取材せよ! 隠された横須賀の歴史ミステリー」

 

期間:2018年2月24日(土)~5月6日(日)

エリア:横須賀市内(走水、観音崎、浦賀、久里浜)

謎解き台紙配布場所:スカナビi、ドブイタステーション、京急線駅ラックなど

主催:横須賀集客促進実行委員会/監修:月刊「ムー」/協力:横須賀開国史研究会会長 山本詔一、(一社)横須賀市観光協会/謎解き制作:サプラニア

ムー×横須賀市コラボ記念ミステリートークショー

 

開催日:2018年3月4日(日)12時~予定

場所:割烹旅館 東京湾(横須賀市走水1-2-19)

登壇者:横須賀開国史研究会会長 山本詔一、「ムー」編集長三上丈晴

定員:80名(応募多数の場合は抽選)

詳細・応募先:

http://www.cocoyoko.net/event/mystery.html

*応募締め切りは2月19日(月)10:00*

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北欧魔術の奥義書「ガルドラボーグ」の護符付き 月刊ムー2018年3月号、発売!!

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前世の記憶は時空を超え、蓄積されている!?

 

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【総力特集】生まれ変わりの遺伝子「ソウルゲノム」の謎

 

 月刊ムー 2018年3月号

月刊ムー 2018年3月号

人は死んで終わりではない! それを示すように古今東西“リーインカネーション(生まれ変わり)”現象を裏づける報告がされている。そうしたなかでも、とくに“ソウルゲノム(霊魂の全遺伝情報)”を引き継いだとしか思えない、驚愕の事例がある! こうした生まれ変わりは、なぜ起こるのか? それは人類に何をもたらすのだろうか。

 

 

【特別企画】古代マヤ文明はゾンビによって滅んだ!!

 

月刊ムー 2018年3月号
月刊ムー 2018年3月号

マヤ文明をはじめとする世界各地の遺跡で発見される奇妙な死体。悪魔を封印するかのごとく埋葬されたこれらの死体は、ある恐ろしい事実の存在を示していた! その悪夢を、現代に甦らせようとしてひそかに進められる恐るべき企画。リビングデッドと米軍のウイルス兵器開発の陰謀。その全貌が、ここに暴かれる!

 

 

【2色刷り特集】完全解明!? 切り裂きジャックの正体

 

月刊ムー 2018年3月号
月刊ムー 2018年3月号

19世紀末のロンドンで、5人の娼婦を次々と惨殺し、人々を恐怖に震え上がらせた<切り裂きジャック>。歴史上、最も知られた猟奇殺人鬼といっても過言ではないだろう。事件は未解決で、犯人は今も明らかになっていないが、最近、興味深い説が登場した。

切り裂きジャックの招待は、アメリカで200人もの人間を殺害したというH・H・ホームズではないかというのだ。

さらに、もうひとりのシリアルキラーも同一人物の可能性があるという。その踊るべき仮説を追う!

 

 

【実用スペシャル】筆跡タイポロジー開運法

 

月刊ムー 2018年3月号
月刊ムー 2018年3月号

これまでに約3500人の筆跡を診断し、適正や進路などについてアドバイスをしてきたという、えり子氏。筆跡はその人の深い部分を表し、筆跡を変えることで、最終的には運勢を変えられる可能性があるという。また、偉人や大物の筆跡をまねすれば、運勢のスケールもアップするというから驚きだ。

文字の書き方を変えれば運勢が変わる! 筆跡タイポロジー開運法を紹介しよう。

 

 

【別冊スペシャル付録】 『ガルドラボーク』の護符シール

 

月刊ムー 2018年3月号
月刊ムー 2018年3月号

奥義書『ガルドラボーク』から特別に選びだした“スタブ”を護符シールが付録に。北欧の魔術所の“スタブ”で成功・幸運・人気が思いままに!!

 

 

 

著名人インタビュー「私の不思議ファイル」には、俳優 野村周平さんが登場!

「ムー」2018年3月号は本日発売です!

 

 

<まだまだあります!気になる特集記事 >

【カラーグラビア】

米国防総省ペンタゴンがUFO情報を公開!!

オーストラリアにフライング・ヒューマノイドが出現した!

オリオン座に巨大葉巻形UFOが出現!!

火星の球体「ブルーベリー」の謎

アメリカ・フリーメーソンのグランドロッジ

 

【私の不思議ファイル】

俳優 野村周平

 

【その他】

世界ミステリー入門 幻の黄金都郷エル・ドラードの謎

外交の魔術師 プーチンの正体

神国日本の歴史群像 海軍中将 浅野正恭

デビルスタワーは巨大樹木の化石だった!!

太陽系外天体オウムアムアは巨大UFOか?

奥義書『ガルドラボーク』の護符で願望成就!!

いつのまにか幸せになれる!! 龍神様の「自然神画」

財とツキと縁を引き寄せる!! 「神在輪」と聖なる木箱

吉田悠軌のオカルト探偵 足利絵馬に見る本音呪詛の現在

 

【連載記事】

南山宏のちょっと不思議な話
松原照子の大世見
辛酸なめ子の魂活巡業
超ムーの世界報告 角由紀子のほんトカナ?
リュウ博士の見えない世界の歩き方
高橋桐矢のルノルマンカード占い
小野十傳 禁断のボイド時間
今月の星座物語
エスパー・小林の心霊開運相談室
UFOメカニカル図鑑

 

など

 

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渋谷の空にスカイフィッシュが!?/読者投稿

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皆既月食の夜に撮影された怪しい物体

投稿者:きよみ さん/UFO・未確認生物の目撃や遭遇

20180211

渋谷で皆既月食の月を撮った写真を確認したら、スカイフィッシュらしきものが写ってました!

写真では小さいながらも、スカイフィッシュらしいですね。都会の夜空との組み合わせがいいムードです。

2月12日~2月18日の運勢&開運ヒント/牡羊座・牡牛座・双子座・蟹座

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◆牡羊座 3/21~4/20生まれ

01ohituji

★ラッキー星座ランキング 6位

洞察力が深まり、何事もグッドタイミングを察知して、スムーズに進めていける星回り。バレンタインの勝率も、かなり高めです。チョコを渡した後、照れくさいからと距離を置かないこと。何事もなかったかのようにどんどん話しかけるほうが、相手の気持ちを揺さぶるには効果的です。

【開運アクション】

ごぶさたしている友人に手紙かメールを。楽しい時間を共有するきっかけが生まれそう。

 

◆牡牛座 4/21~5/21生まれ

02ousi

★ラッキー星座ランキング 10位

実は、恋愛運がじわじわと沸騰中。最大のサプライズは3〜4週間後に起こる予定ですが、バレンタインも含め、その前兆となるような出来事が、そろそろ発生してくるはず。ポイントは、まずあなた自身が楽しい時間を過ごすこと。それにつられるようにして、素敵な出会いや幸せな時間が訪れます。

【開運アクション】

頼まれたことは無理のない範囲で引き受けて。未来の幸せに結びつく可能性があります。

 

◆双子座 5/22~6/21生まれ

03hutago

★ラッキー星座ランキング 8位

星の加護のもと、プチ贅沢な時間が楽しめそう。とくに木曜あたりは、サプライズに恵まれる暗示が。バレンタインにうまく種まきをした人は、この日、早くも嬉しいリターンが得られるのかも。お買い物運も絶好調ですが、大物買いは予算オーバーになりがちなので、とりあえずは小物から。

【開運アクション】

頼まれたことは無理のない範囲で引き受けて。未来の幸せに結びつく可能性があります。

 

◆蟹座 6/22~7/22生まれ

04kani

★ラッキー星座ランキング 7位

あなたを密かに応援してくれる人の存在が感じられて、心なごむ星回り。とくに仕事の場ではそれが顕著で、どこからともなく差し伸べられる救いの手に感激することも。バレンタインはこっそり渡す本気チョコのほか、あなたを慕ってくれる後輩への義理チョコもお忘れなく。

【開運アクション】

縁の下の力持ち的な役割を務めるのは、福招きの魔法。進んで引き受けましょう。

 

2月12日~2月18日の運勢&開運ヒント/獅子座・乙女座・天秤座・蠍座

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◆獅子座 7/23~8/22生まれ

05sisi

★ラッキー星座ランキング 12位

自室を居心地よく整えることと、仕事などの本業をしっかりとこなすことが、互いに呼応して運気を大きく盛りあげます。ステップアップや腕試しのチャンスも多々訪れそう。バレンタイン当日も、チョコを渡すことばかりに気を取られないで、部屋の掃除や仕事に精を出すと吉です。

【開運アクション】

自室の居心地をよくすると、仕事にも好影響が及びます。

 

◆乙女座 8/23~9/23生まれ

06otome

★ラッキー星座ランキング 9位

パートナー運が、花盛りの状態を迎えます。この運気は数週間つづきますが、とくにバレンタインデーから数日間は、一段と盛りあがりそう。一か八かの告白がヒットして、めでたくカップルとなる人も出てくるでしょう。残念な結果に終わった人も、敗者復活のチャンスがあるのでガッカリしないで。

【開運アクション】

身近な人からのアドバイスに耳を貸しましょう。大切なことに気づけるはず。

 

◆天秤座 9/24~10/23生まれ

07tenbin

★ラッキー星座ランキング 5位

楽しみを味わわなければ、もったいないような星回り。仕事などに打ち込むのも素敵ですが、羽を伸ばす時間も確保しましょう。バレンタインをはさんで恋愛運もキラキラと。当日は、夜景を楽しみながらチョコを渡すのも吉。告白を兼ねる場合は、深刻な表情をすると逆効果なので、努めて軽いノリで。

【開運アクション】

ここ一番では本気のお洒落を。驚くくらい魅力的になれます。

 

◆蠍座 10/24~11/22生まれ

08sasori

★ラッキー星座ランキング 2位

家族や親友など、身近な人たちが何かと力になってくれそう。職場の上司や先輩の覚えもめでたく、公私にわたって愛情と応援に包まれている自分を実感するでしょう。それに甘えることなく力を尽くせば、ますます星の加護が厚くなります。バレンタインは本気チョコも義理チョコも、さらりと渡して。

【開運アクション】

自室に華やかさと潤いを。生花を飾るのがベストですが、写真で代用してもOK。

 

2月12日~2月18日の運勢&開運ヒント/射手座・山羊座・水瓶座・魚座

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◆射手座 11/23~12/21生まれ

09ite

★ラッキー星座ランキング 11位

あなたの大らかなひとことが、人間関係の潤滑油になったり、落ち込んでいる人を元気づけたりします。言葉の出し惜しみをしないで、身近な人たちに声をかけましょう。バレンタイン当日も、できれば相手とおしゃべりする時間をつくって。それができない場合は、メッセージカードをつけると吉。

【開運アクション】

映画・小説・アートなどの「大作」をどうぞ。予想以上の感動が味わえるはず。

 

 

◆山羊座 12/22~1/20生まれ

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★ラッキー星座ランキング 1位

金運・財運がとても豊かで、喜びにあふれている暗示。贈ったり贈られたりが、ひときわ楽しい時期になりそう。とくにバレンタインから数日間が好調なので、ホワイトデーを待たずに、早めのお返しが期待できるかも。複数の候補者がいる人は、バレンタインをきっかけに、狙いを絞り込めそう。

【開運アクション】

サスペンスものや絶叫マシンでスリルを楽しんで。厄除け効果が得られます。

 

 

◆水瓶座 1/21~2/19生まれ

11mizugame

★ラッキー星座ランキング 3位

パートナー運が、順調な盛りあがりを見せています。当分の間は、楽しくもスリリングな日々が過ごせそう。バレンタイン当日も、勝利が約束されたかのような星回り。ひとつ心配があるとしたら、はしゃぎすぎることかもしれません。有頂天になったときも、どこかに冷静さを残しておきましょう。

【開運アクション】

欲張りすぎないこと。食事と同じで、幸福も8分目くらいが適量です。

 

 

◆魚座 2/20~3/20生まれ

12uo

★ラッキー星座ランキング 4位

引き続き、秘密の恋が進行しやすい星回り。いずれは交際を公表する予定の健全なカップルならば問題ありませんが、不倫や三角関係に溺れているなら要注意。今は夢中でも、遠からず露見するか、気持ちが冷める可能性あり。バレンタイン当日は、仕事関係者への義理チョコにも力を入れて。

【開運アクション】

自分自身をいたわりましょう。まずは美味しい食事と良質な睡眠を。

 

 

スーパームーンとUFOのファンタジックな共演/読者投稿

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巨大な月の横に、緑色の物体が!!

投稿者:ゆう さん/UFO・未確認生物の目撃や遭遇

20180214

スーパームーンがでていて綺麗だなと思い写真を撮ったら、偶然UFOみたいなのが撮れました!

先日の投稿に続いて、月夜野未確認飛行物体が! 薄い雲に透けるスーパームーンとあいまって、これもまたいい写真ですね~。

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